昭和46年03月28日 特別奉修委員
竹内先生方ご夫妻、それから、他の、秘書の方達やらも一緒に、久留米の近見市長に、前から連絡が取ってあったらしい。何か高良内にに何か、ニュウタウンかね、あの見学に見えたんです。それで、こちらへ廻って来ましたが、その事よりも、結局、近見市長と新公団でお世話になったと云う方でしたが。どうして、竹内先生がその、わざわざ金光様が沢山あんたどんの方に、合楽までもお参りされるのですかと言う事の質問だったそうですね。今迄、私共が考えてきた宗教。
また今迄、私共が見てきた宗教家と云う様なものからは、合楽の信心は分かりません。だから、私共がほんとに金光様の御信心を頂いて、長いことになりますけれども、本当の教祖様が仰って居られる信心と云うものもは、ほんとに、商工会に出してでも、そういう教えの受けれるところが有るならばと云うて、求めに求めて居るところに、御縁あって合楽におかげを頂いて、こうこうだと言うて話された。大まかに感心されたり、びっくりされたりしたという事でございますがね。
昨日こちらにみえましてから、四十六年のまあ市政方針と言いますかね、市長さんとしての考え方と云うものを、どういう風な心の状態でおかげ頂いたら良いでしょうかと言う事でございましたが。市長になられた当時は、あちらの地方新聞が、もうそれこそ市長の事が、べた褒めだったそうですね。ところが最近はもうそのべた褒めだった新聞が、反対に悪口ばっかり書くようになったと云う話をして居られましてね。
昨日実は私ここを下がる時に丁度東京から送って来て居りました、芝居の本を見せて頂いとりましたら。偉いお芝居の評論家がね書いてるのが、口を揃えてその現代の歌舞伎役者がつまらないことを書いて居りました非常に酷評ですよね。もう先年亡くなられた団十郎の、例えばもう死んだ者のことまで言わんで良かろうと思うけれどね、それこそ一部では歌舞伎の神様の様に云うた団十郎の事を、ほんとに大根役者だと云った様な酷評をしてるのを見せて頂いてから、私自身が本当下がる時思ったんですよね。
やっぱりその宗教もね、ほんとに評論家と云うのが居ってね、ほんとに良いものは良いもの、悪いものは悪いものとして、ほんとに指摘して言うてくれる様な評論家が居らんものだろうかと。まあその為に私達は負うた子にでも教えられるという様な姿勢で何時も居るんだけれども中々その、例えば九州なら九州の信心でも、さあ桂大先生といい、甘木のいわゆる安武先生といい、久留米の石橋先生ともうほんとに最高完璧のお徳者の様にしか言わんし、悪口いう者はこれだけしかおらん。
けれどもけれどもやはりね、そりゃ素晴らしいとこがあったからこそ、あれだけの御比礼を輝かされた。けれどもあれではいけないところも沢山有る筈だと。そういうところをね、私は指摘してだから教団人は言えんから、別の方からですね言えれる様な人はいないもんだろうかと云う風に私ね、思わせて頂いた。そして私がこれは言ってる訳なんですね。さっきから一杯話すのに。
私の信心は小倉の桂先生の信心よりも、石橋先生の信心よりも、安武松太郎先生の信心よりも、よりも私の信心は素晴らしいなと。まだ実力を頂いておかげは受けてないけれども、所謂云うならば現代社会に布教すると云った様なスローガンの元に、教団が進んでおられるけれども。もう安武先生の信心じゃ古い、今の時代にはもうとにかく、桂松平先生の御信心の、七十年も八十年もなる様な信心なんか、いよいよ今の人には受けない。だから嘘ではないけれども、もういけないと私は思う。
と云う様なのを、なんか今でも宝物の様に大事にすることだけしか言わない。それは有難いけれどね、それはやっぱ弟子やら、手続きやらでなきゃ言えない。私ぐらい、こげな風に云う者は居るまいと思います。けれども私はね、今の、サイ先生辺りの御霊様が、はぁ大坪は、ほんなこと云いよる、それどころじゃないと、俺達の信心をふんまえて、そこから新たな、現代社会に布教出来る信心をね、まぁ布教してくれと言う風に願って居られる、喜んで居られると、私は思うと云う様な事を申しましとね。
それこそ、ほんとに普通から、脇からみたら馬鹿じゃなかじゃろうかと云うかも知れませんけれどね。そういう確信を持たせて頂いて居る。(託児所)の場合も、昨日、その事をお伺いさせて頂いたら、カンガールがね、ここに子供を抱いてから、こう歩いておるところを頂いてね。だからね、結局、竹内先生、ああたの信心性格と云うか、その自分には、こういうところが欠けて居るから、こういうところで行こうと云う様な考え方は、今年までは止めにゃいけん。
例えば云うならば、母性的な雰囲気と、父親の厳しい激しい性格との二つがあるとするなら、何処までもやっぱり、助役形であったと云う事でね。やっぱ女房役を永年務めてみえたから、又、性格的にも、そういうものを持って居られる方なんです。そこに最近、色々批判されてですね、これはちっと厳しく頂かにゃいけんじゃないかという風に思うて居られた矢先じゃなかったかとこう思うですね。
ところがそうじゃない、今年も、まず先ず、今迄その自分の持って居られる政情と云うものに、もういっちょ信心で深めてですね、いわゆる母性愛的なと云うか、そういう愛情のある方針でされたら良かろうと云うと、もう先生、それを頂くともう、実は思い当たることばっかりでありますと。他にも頂いた、まあこれは先生だけにしか申されないことでしたから、そう云う様なお話をさして頂いたんですがね。
今朝から、朝、起きがけに、移動式の塗板がありますね。コロの付いた塗板、あれにずっと科目が書いてあって、中に蜜柑水ですか、私が頂いたバイレスか何かと言うあれを、あれを開かせて頂くと云うことを頂くんですよね。それで私は、バイレスをコップにこうついだところが、どういうもんかね、瓶に、私が何ち言うか、コップの中に入らんで瓶を伝って、こちらの方へ全部出てしまうんですよ。どういう事じゃろうかと思ったら、牛乳のことだと云うことでしたがね。
これが合楽の精神、合楽の情だと云う意味のことを頂くんですよね。やはり末永さんが今八日間ですかもうお茶も牛乳も、勿論頂かない断食に入っているわけです。益々元気です若い者ですからね。只気がかりは少しやっぱり弱ったと言う感じですけど、今日から本部に試験を受けに行かにゃなりません。私それが気にかかりながらも、まあお許しを頂きませんもんですから、云うなら辛抱しとりましたけれども。今朝からそう頂きましたから、はあバイレスと云うことは蜜柑水ですからね。
ですから成程合楽の信心。と言うて私はもう起きがけに、すぐ家内にあの牛乳を頂いたから熱くしてあげてそして私は又、そうしてほんならまだ休んどるから牛乳を頂けと云うてやったら、家内が熱く沸かしてやったのを水で冷やしておる所に、私が又来ましたもん。はあこれがね、合楽の情だなと思いましたね。熱かつはガブガブ飲まれんですたい。だから私が熱ならせというたから、熱く沸かさせて頂いて。
それを水でどんどん冷やしておるところへ行って、有難いなあこういう一つの情の中に合楽の信奉者は全部おかげを頂いておると言うことだ。そういうことを取り混ぜて、今日は、申しましたがね、ほんとにお互いが、合楽の信心の素晴らしいところを、ほんとに頂いて自分のものにしなかったら、ほんならどんなに素晴らしかったって駄目ですよ。ですから素晴らしいところはほんとに素晴らしいとことして頂いて、
(途中切れ)